心の病気、不調の類において特にたちが悪いのは、目に見える傷痕が残らない点だなと思う。血を流している者に大体の人は優しい。私も自分から血が出ていれば絆創膏を貼ってあげたいと思うし、酷ければ医者にかかりたい。

精神の怪我にはそれがなかった。大体悪い時にも波があって、どれだけ鬱で壊れそうでもパニックで声が止まらなくても、数日眠ってピークをやり過ごしたら落ち着いたように見えてくる。理由もよくわからず、傷もないので 気のせいだったのではないかと思えてくる。また自分を甘やかして休んでしまった、という罪悪感がふつふつと沸いてくる。追われて逃げるように作業に戻る。繰り返して、医者にかかるようになった頃にはじめて、徐々におかしくなっていたことを自覚した。もうそれはずいぶんと遅かったが。もし手にとれたなら私の心は血まみれだったろうか。或いはけろりとしていただろうか。それがわかるだけでも少しは手当てをしてやれたろうに

 

 

 

 

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また一晩中精神を引きずりまわされて限界だった 朝がきてブログのこと思い出したここはいい 誰もこないから でも誰かが見てくれるかもしれないと思えるからわからないから

つながらない電話をかけ続けてすりへらしすぎた また病院に行けないまたそんなことなのに メモ:布団にしがみついて爪をぐっと押し当てて 全身に力を込めて急に抜くそのあと口を枕で塞いで布団に潜って少しだけ声を出しながら思いきり息を吐き続ける そのあと笑わなくていいから何度か口角をあげて戻す だめならはじめからもう一回やる何度も

それで何時間かすると急に楽になる 嘘みたいに心が軽くなる この心の隙みたいないまを見計らって動く できるようになった前よりうまくできるようになったけど前よりずっと苦しい 目を閉じて無理やり眠ろうとするのはよくない 頭の中で次から次に文章が浮かんでばらばらの活字になって虫みたいにずっと読めない文字が飛んでおかしくなる 泣いて泣き止んでのたうつ毎晩 みっともなくて恥ずかしくてたまらない 疲れた

 

初夏だった。

自転車に足をかけ、十分ほど離れたスーパーまで向かう。風は涼しいがサドルを降りて数歩歩くと背に汗がにじむくらいの気温で、雲は去り、水色が果てまで続いていた。そしてその晴れた空の下、普段茶菓子など買わないのに急に二千円も手渡され、お茶請けのお使いを頼まれ困っている私もいた。やはり煎餅が無難だろうか。ポップすぎるものは避けるべきか。など、いらぬ心配をいくつもして、最終的には アルフォートプリッツ・雲丹あられ・きのこの山たけのこの里のアソートパック の布陣に決定する。結局殆どは私の好みによるものだが、きのことたけのこだけは派閥争いで少しでも会話が弾めばいい、というささやかな配慮のつもりだった。

 

通夜とは思えないほど爽やかな日。帰宅しどかっとソファに腰を下ろすとじきに母の茹でたうどんが並び、それをつるつると啜る間私は一足先に夏の気持ちだった。風鈴でも飾りたくなるような淡い影が窓辺に伸びて、夏をますます助長させていた。扇風機も回した。けれどじきに葬儀屋が訪れると私のなかの夏は少しずつどこかへ消えて、代わりに季節などない喪の時間が満ちていった。

 

 

 

 

 

 

午後三時、祖母の眠る和室にふたりの葬儀屋が入って、それからしばらく襖を閉めたまま準備が行われた。閉まる前に父が その作業を見ていてもいいか といったような事を尋ね「見ていてあまり気持ちのいいものではないかもしれない」と返されていたので、私は余分にそれを想像してしまいそうで必死に別の事を考えていた。

 

 

 

 

 

襖が開いた先にいた祖母はもう厚手の布団も白布も被っていなくて、ただただ小さかった。母たちの選んだ着物の袖から伸びる指が、水泳の後みたいにしわくちゃで、少し怖いけれど同じくらい愛おしくも思える。足は随分とやせ細っていて、ひび割れた爪のいくつかが痛々しく見えた。

それから私ははじめて、随分と遅くなってしまったけれどようやく、祖母の眠る顔をしっかりと見た。ずっと怯えていた。白髪になってしまった祖母を初めて見たときのショックが脳裏で燃えていて、それをさらに上回ってしまうことが怖くて、昨日も一昨日も、すこし離れて眺めるだけだった。けれどその顔は思うよりずっと穏やかで、私ははじめ知らない人を見たような感じで、綺麗な人だな と思った。勿論、ショックはあった。体温も魂も残っていない、入物としての肉体がすぐそこにあり、顔を見るとそれがやはり祖母だと痛いほど実感させられる。頬にははりがあり顔立ちこそ整っているものの、目の前の遺影と比べると悲しいまでに変わり果てた姿だった。

 

 

 

箸に巻いた脱脂綿に緑茶をしみ込ませ、順番に祖母の口へと運んでいく。末期の水。準備の際、あまり冷たいものが好きでなかった祖母の為に父が何度も茶碗の緑茶をレンジに入れては冷ましているのを見て、なんとなくこの人の子で良かったなと思った。祖母の唇はすごく薄くて、私は震える手ですこしでも潤うよう丁寧になぞる。終えると次は着物の袖と裾を捲り、手渡されたガーゼで手足と顔を拭いていく。あらわになった祖母の脛のあたりは、血の気はないがしわひとつなくて、精巧な作り物のようだった。ガーゼ越しに祖母の額にふれたとき、私はみるみるうちに下瞼に涙がたまっていくのがわかった。感情の整理が追い付かなくなり、祖母の顔に涙をこぼさないよう堪えながら肌をなでる。妹が右の頬を拭いていたので、静かに逆の頬を優しく拭った。痩せた目の周りに眼窩をふちどる円が浮かんでいて、その下の空洞を想像すると私はどこまでも苦しくなっていった。

足袋を履かせ手に数珠をかける間、葬儀屋の女性が祖母の顔に化粧をする。私が足袋の紐を決して途中で脱げないよう固く結ぶとおおよそ化粧の方も済んだようで、口紅を塗り終えると祖母はまして美しかった。頬は赤らみ、両親らが悩んで決めた薄桃色の口紅もほどよく華やかだった。

 

 

祖母を棺に入れる際、私は心の底から緊張していた。皆で布の四隅を掴み持ち上げるとずしりと重く、身体だけが残されていったことを実感する。傾けたら簡単に、重力のままどこかへ転がってしまう意思のない器。小さな身体は棺にぴったりと納まって、足元には祖母の飾っていた"ヨン様"のカレンダーが入れられた。祖母が元気だったころのまま永遠に止まった暦表を一緒に送るのはある種の祈りのようだと私は思ったが、入れた母はきっとそこまで考えていたわけではないだろう。ただ、それでいいし今日はその方がいいのだろうとも思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

通夜は滞りなく進んで、予定通り一時間ほど、夜七時前には皆帰っていった。私はといえば、焼香の後に脇を通って席に戻る筈がうっかり真ん中を通ってしまった失敗を心でやや引き摺りながら帰りのタクシーに揺られていた。帰ってから母に言われた、通夜の作法など慣れるようなものではないから都度忘れてしまっても良いという言葉がなんだか好きで、心に残っている。

それと、最近の霊柩車は黒色の一見普通の車になっているようだ。私はあの金ピカを想像していたのでなんだか拍子抜けしてしまったが、祖母は変に目立つような人でなかったのでそれで良かったのかもしれない。私は変なところで目立ちたいので、その時が来たら是非金金ピカピカで運んでほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

先程まで、と言ってもすでに四時間近くこの文章と向き合っているので昨晩というのが正しいが、夜伽で一泊する父に着いて私も一度、斎場へと戻った。私は泊まるつもりでなく現に今は自室に戻ってきているが、今日しかできない事はなるべくしておきたいと思ったからだ。夜風にあおられながら自転車で父に並んで斎場に向かう時間すらもなんだか貴重なことのように思えて、綺麗に並んだ星をたまに見上げながらペダルを押した。

夜十一時の斎場は厳かで冷たいものを想像していたが、私と父だけで葬儀屋の人もいなかったので、むしろ随分と柔らかい雰囲気だった。小さく畳の敷かれた宿直室のような部屋でゆっくりとお茶を飲み、テレビをぼうっと眺めながら家にいるときと変わらない普通の会話をする。そのうち父が、持ってきたタブレットでゆうらん船の新しいミュージックビデオを流しだすので、それを見ながら布団を敷く。腰が痛くなりそうだからと敷布団をいくつも重ねたりやっぱり外したりする。そういうごくごく普通の時間が、忙しなかったここ数日の山を均していくいくようで私はおだやかだった。それからじきに父は眠そうにしはじめたので、私は見送られながら家に帰った。帰り道、澄み切った空がきっと明日も暑くなるぞと告げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今、かたちある祖母との最後の夜が、もう白んでほとんど明けている。

二時間後には起床し、支度を始めなければならないのにこんな時間までタイピングを続けているのは、眠ってしまったらすっかり薄れてもう書けない気がするから。今日はきっと文字に起こせないほど悲しいだろうから。数時間後には葬儀がはじまって、そのまた数時間後にはもう、祖母の身体にすら二度と会えなくなる。そのことを私がこの短い時間のなかで受け入れるなどおそらくできるはずもないが、せめて、明日は立派な孫でいたい。せめて、持ちうる精いっぱいの愛をこめて祖母を見送りたい。

 

 

 

 

 

 

商店街を囲うようにぐるぐると、何度も同じ道を歩いた。どこへ行くでもなく、かといって帰路につくわけでもなく。深夜の田舎町はほとんど私のもののようで、疲れ果てたような顔の青年一人とすれ違った以外に人影はなかったが、それに見合わず商店街は明るかった。だらりと湿った草木の匂いと、屋根やそこらを伝って落ちる水滴の音だけがあちこちで聞こえていて、私はそれに紛れるようにゆっくりと進んだり戻ったりしている。無音ではないものの、不思議なほど静かな夜だった。

三、四周ほどしたあたりでばつん、と音がして、商店街に灯っていた電灯たちが消えた。初めて立ち会うそれに驚いて振り向けば、電気屋から漏れる非常口の緑の光と、曇った空を透かす僅かな月明りだけがこの町の光のすべてだった。今日がなんでもない日であれば、私はこれを「びっくりした」の一言に換え、そろそろ帰ろうかとなるのだけれど。祖母が永遠に眠った夜、私はもう二十年もここにいて、ようやくこの町の本当の真夜中を見た気がした。

 

 

少しだけ降りだした雨を手で確かめながら、一晩中歩いたとは思えないほど短い帰り道を経て家に着く。布団に包まった時、疲労感と映画を見ているような浮遊感が体を覆っていて、窓から青黒い朝が覗いていた。

 

 

 

 

泥のような眠りから覚めたのは昼頃だった。昨晩とはうってかわって晴れた光の射す、明るい昼。階段をくだり、私が一通りの身支度を終えて和室の前を通りがかると、すでにそこには祖母が眠っていた。正確には、祖母と思わしき人か。白布に覆われた頭部。その下を、彼女の顔を私は現在に至るまで見ていないので、未だ夢を見ているような気持ちだった。

言伝だけだった死が、質量を伴ってそこにある。その光景があまりに哀しく見えて一度私はリビングに戻り、ひとつ息をついてから和室に戻った。何一つ信じたくはなかったが、敷かれた布団に浮かび上がった手を組んで横たわる身体の輪郭や、何より白布の隙間から僅かに見えたあの綺麗な白い髪が否応なく別れを突き付けてくるので、私は俯いて祖母を呼ぶことしかできなかった。

 

 

 

それからしばらくの間、私はそこで顔の見えない祖母を見つめていた。向こうの部屋から漏れ出す家族や親戚のかすかな話し声を聞きながら、祖母の声を思い出す。そして時折、目の前の祖母が何か喋ったりだとか急に起き上がって元気になったりだとか、そういう当り前の妄想ばかりをぼうっと浮かべては、足元の冷たい現実に引き戻されるばかりだった。身体は厚い布団に覆われ顔も隠されるなか、着物越しの肩だけが生々しく人の形状をしていて私は少し触れたいと思ったが、その勇気の持ち合わせがない。結局、私は何もせずにただいくつかの記憶をするするとなぞり終えると家族のもとに戻ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

夜にかけては忙しなかった。親戚が何人も出入りして、その合間合間に葬儀屋がいくつもの段ボールを運ぶ。手の空いた時間に家族で昔のアルバムを次々にめくって、祖母の写真を探した。山積みの写真たち。そのうちにだんだんとただ昔を懐かしむだけになって、この写真のお母さんは服装が若いだとか、こっちのお父さんは髪が黒くて多いだとか、そういうたわいのない時間が流れて、私はそれが心地よかった。同時に、過ぎ去ってしまったそれらが山積みの物量として可視化されてしまい、時々苦しく思ったりするうちに陽は落ちていった。

外へ出ると黒い幕やら大きな提灯やらがぶら下がっていて、その光がふたつ、ぼんやりと夕暮れに浮いている。門牌を見たとき私は初めて祖母が八十七歳まで生きたことを知り、祖父の死から十年以上の月日が流れていたことを改めて実感した。時はどこまでも不可逆で残酷なのだなと、当然のことを今日も考えていた。

 

 

 

夜、母の焼いたスパゲティグラタンを四人そろって食べる。妹が上京して一か月ほど経ったろうか。久々に空席のない食卓を喜びつつも、廊下の向こうで一人眠っている祖母のことを時々考えぐちゃぐちゃの心のままそれを平らげた。いつも和室で寝るはずの我が家のセキセイインコも今日ばかりはリビングにいることになったために部屋の半分は薄暗く、それも相まってか私は目前に通夜が迫っていることをひしひしと肌で感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蓮の花を模した真っ赤な蝋燭。暗くなった和室には、指先ほどのオレンジの光だけが小さくぽつり と灯っていて、祖母の身体がいまもかすかに照らされている。電球色の、この上ない程暖かい色の光だったけれど、私にはそれがどうしようもないほど冷たく見えた。こうして文字を叩く今も、階段を下りればそこにあの冷たい部屋がある。

柔らかで凍えそうな影ばかりが和室からこぼれんばかりに満ち満ちていて。違う世界のような感じがする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父がドアをこつこつと二つ叩いた後、少しの隙間から「ばあちゃん、じいちゃんのところに行ったって。」と一言だけ、言った。

 

 

 

 

 

 

 


不思議と驚いているわけではないし、純粋な悲しいともまた少し違うような気がする。涙は出なかった。電話越しの妹へ丁寧に説明する父の声が廊下に溢れていて、私は外へ出るしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 


無理やり言葉にするならば、このまま道路のど真ん中で眠ってしまいたい。そのままいっそどしゃ降りの雨に降られたい。ポケットの車の鍵で適当に消え去りたい。二つ持ってきたカメラでこの町の今夜という今夜をすべて写しておきたい。夜のうちなら町にばあちゃんが残っている気がするから。十一時四十分頃、呼吸が終わったと言っていた。夜は楽だったろうか。苦しまなかっただろうか。まだ一時でよかった。今すぐ朝が来たらおかしくなりそうだったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日は随分と長く眠っていた。

夜行のバスを降り、真っ黒の空は三十分ほど歩くうちにもう朝の顔をしていて、すっかり夢からさめたようだった。数か月ぶりに東京の黒く固い地面を歩き回った足は、もう今日はどこにも行きませんと言うように少し痛みだしていたので、家についてからは大人しく眠ることにしたのだった。

 

この町の建物はどれも寸胴で背が低く、当然、東京にすらりと伸びたモデル体型のそれらと比べてしまえば、悲しくなるほど田舎の様相をしている。都会の喧騒やあの忙しなさの欠けらもないが、見慣れきった風景に燃えるような感動は残されていない。商店街にはいつもの空気が停滞し時間さえ止まっているようだが、ゆるやかに終わっていくようにも見えた。家の近所にはいまだ手作りのこんにゃく屋があり、前を通るたび、昔そこで買ってもらったフルーチェが数年単位で期限切れだったことを思い出すのだ。ひとりでは眠れない、胸を張って子供だった頃の話。ずっとずっと、ずっと昔の話。

 

不安になるほど穏やかな午後の光。五月は半ば、木々も道端の雑草でさえも、見惚れるほど美しい新緑を見せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祖母が死ぬらしい。

 

父ははっきりとは言わなかったが、他に捉えようのない言葉だったので、私はそう理解した。窓の外を見ながら、流れるように、でも少しだけためらうような口調だった。一瞬の間があったが、私は目を見開くわけでも息がふっと止まるでもなく、ああ、そうなんだ。とだけ返して、同時に、普通に言葉が出てきたことに驚く。

 

一週間以内に、黒いスーツを用意しておけ、とのことだった。

父が言葉を慎重に選び取っているのがどうにもわかってしまって、辛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

物心ついたときから、家族は当たり前に六人だった。

妹と両親、祖父と祖母。全員が乗れる大きなファミリーカーがあったし、いつも長いテーブルを挟んで三つずつ椅子が並べられていた。夢みたいに、うすぼんやりとしか思い出せない記憶を手繰れば、所謂おばあちゃん子だった私は毎日、祖母の和室にいた。「タイタニック」と手書きで書かれたビデオテープと、冬のソナタの並んだテレビ台。優しくしとやかで、毎晩三味線の稽古をしていた彼女のことを、私は子供心に聡明な人なんだろうと感じていた。幼かった私にラブロマンス、まして海外のものなど理解できるはずもないが、時の人である"ヨン様"に目を輝かせていた祖母の姿だけは覚えている。贅沢なほど、あたたかく幸せな家族と時間だったと思う。

 

 

 

それから私が小学校の四年生か五年生になった頃のクリスマスの朝。サンタクロースとの我慢比べにたやすく負け、眠ってしまった寒い朝に、大好きだった祖父が他界した。

枕元に置かれた、世界で一番綺麗な赤と緑の包み紙を開きながら、私は二階がなにやら騒がしいことに気づいた。ぞっとするほどつめたい朝。幼い頃からその類の勘に鋭かった私は、部屋の中にいながらどんな恐ろしいことが起こってしまったかおおかたの想像がついてしまって、やがて両親が和室の戸を開けた時、「聞きたくない」と言ったと思う。祖父の部屋は、陽が射しているのに妙に青っぽくて、傍らで祖母が泣いていた。

 

クリスマス・イヴ。ひじりの夜に、いつも通りに眠ってそのまま目覚めなかったという祖父の肌は、あるはずの体温がもうどこにも残っていなくて、私は思わず小さく悲鳴をあげそうになったが、ぐっと飲み込んだ。ボウリングが大の得意だった祖父の体はがっしりしていて、夜遅く帰ってきてはボウリング大会の景品であるお菓子やらなにやらを孫にくれる、当たり前にあった時間や機会のすべてが、肉体とともに終わりを迎えたのだと悟った。

 

 

 

 

それから祖母は急激に変わっていった。穏やかだった口調は、泉のように無限に湧き出る心配事を繰り返すだけで、彼女を聡明たらしめていた眼差しはきょろきょろと定まらなくなってしまった。会話が成り立たず、家じゅうに苛立ちが充満する。弾き手のない三味線は、和室の隅に立てかけられたままになった。祖母が施設に入ったその夜、悲しいほど静かで穏やかな時間が続いていて、やがて流線形のようになだらかに、彼女のいない時間が日常と化した。

 

 

 

 

 

 

最後に会ったのはいつだったろうか。

祖母が施設に施設に入ってから何度か家族で面会しに行く機会があったが、私は祖母に会うのが怖く、しばらくは両親と妹だけが会いに行っていた。私は私の好きだったものが変化していくことを受け入れる事が苦手で、祖父が他界した際も長らく仏壇に向かい合わなかったし、墓参りもなるべくしなかった。それをすることで、自分の中にいた祖父が完全に終わってしまうことが何よりも怖かったし、面会のそれも同じような理由だった。記憶のなかの彼女のままでいてほしかった。

それでもしばらくすると意を決して、というよりその恐怖心が時間とともにやや薄れたというのもあり、面会に同行する気持ちになった。会わないまま祖母を失ってしまったら、という別の恐怖が生まれたというのもあったと思う。車内には形容しがたいじっとりした空気が流れていて、それが精神的なものだったかこの町の曇天のせいだったのか今となっては思い出せないが、その空気にあてられて私の心は強張っていた。

 

 

 

 

施設のロビーで車椅子に腰かけた祖母を見た時、私はそれが祖母だと一瞬気づかなかった。記憶の中で真っ黒だった祖母の髪が、思わず見とれそうなほど綺麗でおぞましい白色をしていたからだ。私は今まで生きてきた中でも類を見ないほどのショックを受け、また死というものが風のように刹那に駆け抜けてゆくのを感じた。当然のように彼女に話しかける父と母を見て思わず吐き出しそうになる。悲しかった。

職員に車椅子を押され、祖母は個室のベッドに入る。ここが普段過ごしている部屋なのだろう。小さな棚の上に、家族で撮った昔の写真がいくつか並んでいた。真っ白の壁には少し光が入っていたが、祖父が他界したあの朝の青さに似ていると思い、素直に綺麗だとは思えなかった。

 

 

 

 

久しぶりに会う祖母は、認知症を患って記憶が所々壊れたようになってしまっていた。変わってしまった彼女を前に言葉を発せずにいたが、しばらくして私に気づいたようだった。じっと見つめる目は少し落ち着いているものの、記憶の中のそれとは全然違ったように思える。そして、

 

「だれ?」

と祖母は私に尋ねる。瞬間、私はここに来てしまったことを悔やんで。走って逃げたくなった。今自分に向けてまっすぐに発せられたその質問に追いつかれる前に全速力で、走って逃げたくなった。いまにも心が壊れそうだった。これを書いている今でも、その声が私を追っかけてくるような気さえするのだ。両親が、予期していたように笑いながら私のことを私の家族に紹介する。私のことを、私と毎日一緒に寝ていた私の祖母に説明している。

その光景に耐えられなくて、私はへらへらと口角をあげたり、俯いたり、何でもないように窓を眺めたりと忙しかった。

 

 

 

 

 

部屋を出る時、私は久しぶりに会う祖母の姿を残そうと持ってきていたカメラで、代わりに光の射した窓や彼女の靴、青白いベッドだけを写して帰った。帰り道のことは、よく覚えていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何度か面会に行ったと思う。楽しみだとは思えなかったが、もしかすれば思い出すかもしれないと同行した。両親はその度、昔の写真を見せながら私のことを丁寧に説明したが、終ぞ私と過ごした時間を思い出すことはなかった。

恐らく四年ほど前の面会を最後に、私は祖母と会っていないのだと思う。しばらく離れなかった面会初日のトラウマも四年の月日とともに受け入れられるまでに馴染み、近頃ではたまにかかってくる施設からの電話を父が応対している時にだけ思い出す程度になった。

 

 

 

明日、礼服を買いに行く。これから来る死のために準備をするということは、とてもおぞましい。

そして二十代も半ばにさしかかって、毎日一緒に寝ていた頃の記憶は随分と昔のものになってしまったが、それでも大好きだった祖母の死がすぐそこまで迫っていると聞き、私が今それを受け入れかけていることが何よりも恐ろしい。今となってはもう、変わってしまったあとの祖母の口調しか、思い出せない。

 

 

タイムトラベルの映画や漫画が好きだ。私はいつだって過去に戻りたくて、今だって、夢のような大都会を友人たちと笑って歩いていた数日前に戻りたい。今朝でもいい。祖母の話を聞く前に戻りたい。知人たちとタイムトラベルの話をすると私はたまに、「過去に戻るなんて贅沢は言わないから、せめて先へ進まないでいてほしい」と話すのだが、今日わたしは、それが実のところ一番贅沢な願いなのだなと悟った。それでも、願わずにはいられない。私はもう十分すぎるほど大事なものを手に入れたし、今後さらに増やすことよりも、それらを失わないことの方が遥かに重要なことだと知っているからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

祖母は、コップ一杯の水を飲むのに半日かかると聞いた。

死が目前にあるとはどんな気持ちだろう。私は毎晩のように死んでしまいたいと思うけれど、死への恐怖は人一倍強いと思う。だから、いつか来る死のことを考えると、恐怖で今すぐ死んでしまいたくなる。家族との死別が来ると知りながら、それを待っているだけの今が恐ろしくて壊れそうになる。

 

キーボードを叩く合間、無意識にコップの水を飲みほした後に、自分にとってあまりに簡単なその行為に苦しくなる。いつもの何倍も、明日が怖くてたまらない。

なんでもいいから救ってほしい。祖母も、私も。

私の大事な人たちだけを、わがままにずっと守っていてほしい。