初夏だった。

自転車に足をかけ、十分ほど離れたスーパーまで向かう。風は涼しいがサドルを降りて数歩歩くと背に汗がにじむくらいの気温で、雲は去り、水色が果てまで続いていた。そしてその晴れた空の下、普段茶菓子など買わないのに急に二千円も手渡され、お茶請けのお使いを頼まれ困っている私もいた。やはり煎餅が無難だろうか。ポップすぎるものは避けるべきか。など、いらぬ心配をいくつもして、最終的には アルフォートプリッツ・雲丹あられ・きのこの山たけのこの里のアソートパック の布陣に決定する。結局殆どは私の好みによるものだが、きのことたけのこだけは派閥争いで少しでも会話が弾めばいい、というささやかな配慮のつもりだった。

 

通夜とは思えないほど爽やかな日。帰宅しどかっとソファに腰を下ろすとじきに母の茹でたうどんが並び、それをつるつると啜る間私は一足先に夏の気持ちだった。風鈴でも飾りたくなるような淡い影が窓辺に伸びて、夏をますます助長させていた。扇風機も回した。けれどじきに葬儀屋が訪れると私のなかの夏は少しずつどこかへ消えて、代わりに季節などない喪の時間が満ちていった。

 

 

 

 

 

 

午後三時、祖母の眠る和室にふたりの葬儀屋が入って、それからしばらく襖を閉めたまま準備が行われた。閉まる前に父が その作業を見ていてもいいか といったような事を尋ね「見ていてあまり気持ちのいいものではないかもしれない」と返されていたので、私は余分にそれを想像してしまいそうで必死に別の事を考えていた。

 

 

 

 

 

襖が開いた先にいた祖母はもう厚手の布団も白布も被っていなくて、ただただ小さかった。母たちの選んだ着物の袖から伸びる指が、水泳の後みたいにしわくちゃで、少し怖いけれど同じくらい愛おしくも思える。足は随分とやせ細っていて、ひび割れた爪のいくつかが痛々しく見えた。

それから私ははじめて、随分と遅くなってしまったけれどようやく、祖母の眠る顔をしっかりと見た。ずっと怯えていた。白髪になってしまった祖母を初めて見たときのショックが脳裏で燃えていて、それをさらに上回ってしまうことが怖くて、昨日も一昨日も、すこし離れて眺めるだけだった。けれどその顔は思うよりずっと穏やかで、私ははじめ知らない人を見たような感じで、綺麗な人だな と思った。勿論、ショックはあった。体温も魂も残っていない、入物としての肉体がすぐそこにあり、顔を見るとそれがやはり祖母だと痛いほど実感させられる。頬にははりがあり顔立ちこそ整っているものの、目の前の遺影と比べると悲しいまでに変わり果てた姿だった。

 

 

 

箸に巻いた脱脂綿に緑茶をしみ込ませ、順番に祖母の口へと運んでいく。末期の水。準備の際、あまり冷たいものが好きでなかった祖母の為に父が何度も茶碗の緑茶をレンジに入れては冷ましているのを見て、なんとなくこの人の子で良かったなと思った。祖母の唇はすごく薄くて、私は震える手ですこしでも潤うよう丁寧になぞる。終えると次は着物の袖と裾を捲り、手渡されたガーゼで手足と顔を拭いていく。あらわになった祖母の脛のあたりは、血の気はないがしわひとつなくて、精巧な作り物のようだった。ガーゼ越しに祖母の額にふれたとき、私はみるみるうちに下瞼に涙がたまっていくのがわかった。感情の整理が追い付かなくなり、祖母の顔に涙をこぼさないよう堪えながら肌をなでる。妹が右の頬を拭いていたので、静かに逆の頬を優しく拭った。痩せた目の周りに眼窩をふちどる円が浮かんでいて、その下の空洞を想像すると私はどこまでも苦しくなっていった。

足袋を履かせ手に数珠をかける間、葬儀屋の女性が祖母の顔に化粧をする。私が足袋の紐を決して途中で脱げないよう固く結ぶとおおよそ化粧の方も済んだようで、口紅を塗り終えると祖母はまして美しかった。頬は赤らみ、両親らが悩んで決めた薄桃色の口紅もほどよく華やかだった。

 

 

祖母を棺に入れる際、私は心の底から緊張していた。皆で布の四隅を掴み持ち上げるとずしりと重く、身体だけが残されていったことを実感する。傾けたら簡単に、重力のままどこかへ転がってしまう意思のない器。小さな身体は棺にぴったりと納まって、足元には祖母の飾っていた"ヨン様"のカレンダーが入れられた。祖母が元気だったころのまま永遠に止まった暦表を一緒に送るのはある種の祈りのようだと私は思ったが、入れた母はきっとそこまで考えていたわけではないだろう。ただ、それでいいし今日はその方がいいのだろうとも思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

通夜は滞りなく進んで、予定通り一時間ほど、夜七時前には皆帰っていった。私はといえば、焼香の後に脇を通って席に戻る筈がうっかり真ん中を通ってしまった失敗を心でやや引き摺りながら帰りのタクシーに揺られていた。帰ってから母に言われた、通夜の作法など慣れるようなものではないから都度忘れてしまっても良いという言葉がなんだか好きで、心に残っている。

それと、最近の霊柩車は黒色の一見普通の車になっているようだ。私はあの金ピカを想像していたのでなんだか拍子抜けしてしまったが、祖母は変に目立つような人でなかったのでそれで良かったのかもしれない。私は変なところで目立ちたいので、その時が来たら是非金金ピカピカで運んでほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

先程まで、と言ってもすでに四時間近くこの文章と向き合っているので昨晩というのが正しいが、夜伽で一泊する父に着いて私も一度、斎場へと戻った。私は泊まるつもりでなく現に今は自室に戻ってきているが、今日しかできない事はなるべくしておきたいと思ったからだ。夜風にあおられながら自転車で父に並んで斎場に向かう時間すらもなんだか貴重なことのように思えて、綺麗に並んだ星をたまに見上げながらペダルを押した。

夜十一時の斎場は厳かで冷たいものを想像していたが、私と父だけで葬儀屋の人もいなかったので、むしろ随分と柔らかい雰囲気だった。小さく畳の敷かれた宿直室のような部屋でゆっくりとお茶を飲み、テレビをぼうっと眺めながら家にいるときと変わらない普通の会話をする。そのうち父が、持ってきたタブレットでゆうらん船の新しいミュージックビデオを流しだすので、それを見ながら布団を敷く。腰が痛くなりそうだからと敷布団をいくつも重ねたりやっぱり外したりする。そういうごくごく普通の時間が、忙しなかったここ数日の山を均していくいくようで私はおだやかだった。それからじきに父は眠そうにしはじめたので、私は見送られながら家に帰った。帰り道、澄み切った空がきっと明日も暑くなるぞと告げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今、かたちある祖母との最後の夜が、もう白んでほとんど明けている。

二時間後には起床し、支度を始めなければならないのにこんな時間までタイピングを続けているのは、眠ってしまったらすっかり薄れてもう書けない気がするから。今日はきっと文字に起こせないほど悲しいだろうから。数時間後には葬儀がはじまって、そのまた数時間後にはもう、祖母の身体にすら二度と会えなくなる。そのことを私がこの短い時間のなかで受け入れるなどおそらくできるはずもないが、せめて、明日は立派な孫でいたい。せめて、持ちうる精いっぱいの愛をこめて祖母を見送りたい。

 

 

 

 

 

 

商店街を囲うようにぐるぐると、何度も同じ道を歩いた。どこへ行くでもなく、かといって帰路につくわけでもなく。深夜の田舎町はほとんど私のもののようで、疲れ果てたような顔の青年一人とすれ違った以外に人影はなかったが、それに見合わず商店街は明るかった。だらりと湿った草木の匂いと、屋根やそこらを伝って落ちる水滴の音だけがあちこちで聞こえていて、私はそれに紛れるようにゆっくりと進んだり戻ったりしている。無音ではないものの、不思議なほど静かな夜だった。

三、四周ほどしたあたりでばつん、と音がして、商店街に灯っていた電灯たちが消えた。初めて立ち会うそれに驚いて振り向けば、電気屋から漏れる非常口の緑の光と、曇った空を透かす僅かな月明りだけがこの町の光のすべてだった。今日がなんでもない日であれば、私はこれを「びっくりした」の一言に換え、そろそろ帰ろうかとなるのだけれど。祖母が永遠に眠った夜、私はもう二十年もここにいて、ようやくこの町の本当の真夜中を見た気がした。

 

 

少しだけ降りだした雨を手で確かめながら、一晩中歩いたとは思えないほど短い帰り道を経て家に着く。布団に包まった時、疲労感と映画を見ているような浮遊感が体を覆っていて、窓から青黒い朝が覗いていた。

 

 

 

 

泥のような眠りから覚めたのは昼頃だった。昨晩とはうってかわって晴れた光の射す、明るい昼。階段をくだり、私が一通りの身支度を終えて和室の前を通りがかると、すでにそこには祖母が眠っていた。正確には、祖母と思わしき人か。白布に覆われた頭部。その下を、彼女の顔を私は現在に至るまで見ていないので、未だ夢を見ているような気持ちだった。

言伝だけだった死が、質量を伴ってそこにある。その光景があまりに哀しく見えて一度私はリビングに戻り、ひとつ息をついてから和室に戻った。何一つ信じたくはなかったが、敷かれた布団に浮かび上がった手を組んで横たわる身体の輪郭や、何より白布の隙間から僅かに見えたあの綺麗な白い髪が否応なく別れを突き付けてくるので、私は俯いて祖母を呼ぶことしかできなかった。

 

 

 

それからしばらくの間、私はそこで顔の見えない祖母を見つめていた。向こうの部屋から漏れ出す家族や親戚のかすかな話し声を聞きながら、祖母の声を思い出す。そして時折、目の前の祖母が何か喋ったりだとか急に起き上がって元気になったりだとか、そういう当り前の妄想ばかりをぼうっと浮かべては、足元の冷たい現実に引き戻されるばかりだった。身体は厚い布団に覆われ顔も隠されるなか、着物越しの肩だけが生々しく人の形状をしていて私は少し触れたいと思ったが、その勇気の持ち合わせがない。結局、私は何もせずにただいくつかの記憶をするするとなぞり終えると家族のもとに戻ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

夜にかけては忙しなかった。親戚が何人も出入りして、その合間合間に葬儀屋がいくつもの段ボールを運ぶ。手の空いた時間に家族で昔のアルバムを次々にめくって、祖母の写真を探した。山積みの写真たち。そのうちにだんだんとただ昔を懐かしむだけになって、この写真のお母さんは服装が若いだとか、こっちのお父さんは髪が黒くて多いだとか、そういうたわいのない時間が流れて、私はそれが心地よかった。同時に、過ぎ去ってしまったそれらが山積みの物量として可視化されてしまい、時々苦しく思ったりするうちに陽は落ちていった。

外へ出ると黒い幕やら大きな提灯やらがぶら下がっていて、その光がふたつ、ぼんやりと夕暮れに浮いている。門牌を見たとき私は初めて祖母が八十七歳まで生きたことを知り、祖父の死から十年以上の月日が流れていたことを改めて実感した。時はどこまでも不可逆で残酷なのだなと、当然のことを今日も考えていた。

 

 

 

夜、母の焼いたスパゲティグラタンを四人そろって食べる。妹が上京して一か月ほど経ったろうか。久々に空席のない食卓を喜びつつも、廊下の向こうで一人眠っている祖母のことを時々考えぐちゃぐちゃの心のままそれを平らげた。いつも和室で寝るはずの我が家のセキセイインコも今日ばかりはリビングにいることになったために部屋の半分は薄暗く、それも相まってか私は目前に通夜が迫っていることをひしひしと肌で感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蓮の花を模した真っ赤な蝋燭。暗くなった和室には、指先ほどのオレンジの光だけが小さくぽつり と灯っていて、祖母の身体がいまもかすかに照らされている。電球色の、この上ない程暖かい色の光だったけれど、私にはそれがどうしようもないほど冷たく見えた。こうして文字を叩く今も、階段を下りればそこにあの冷たい部屋がある。

柔らかで凍えそうな影ばかりが和室からこぼれんばかりに満ち満ちていて。違う世界のような感じがする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父がドアをこつこつと二つ叩いた後、少しの隙間から「ばあちゃん、じいちゃんのところに行ったって。」と一言だけ、言った。

 

 

 

 

 

 

 


不思議と驚いているわけではないし、純粋な悲しいともまた少し違うような気がする。涙は出なかった。電話越しの妹へ丁寧に説明する父の声が廊下に溢れていて、私は外へ出るしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 


無理やり言葉にするならば、このまま道路のど真ん中で眠ってしまいたい。そのままいっそどしゃ降りの雨に降られたい。ポケットの車の鍵で適当に消え去りたい。二つ持ってきたカメラでこの町の今夜という今夜をすべて写しておきたい。夜のうちなら町にばあちゃんが残っている気がするから。十一時四十分頃、呼吸が終わったと言っていた。夜は楽だったろうか。苦しまなかっただろうか。まだ一時でよかった。今すぐ朝が来たらおかしくなりそうだったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日は随分と長く眠っていた。

夜行のバスを降り、真っ黒の空は三十分ほど歩くうちにもう朝の顔をしていて、すっかり夢からさめたようだった。数か月ぶりに東京の黒く固い地面を歩き回った足は、もう今日はどこにも行きませんと言うように少し痛みだしていたので、家についてからは大人しく眠ることにしたのだった。

 

この町の建物はどれも寸胴で背が低く、当然、東京にすらりと伸びたモデル体型のそれらと比べてしまえば、悲しくなるほど田舎の様相をしている。都会の喧騒やあの忙しなさの欠けらもないが、見慣れきった風景に燃えるような感動は残されていない。商店街にはいつもの空気が停滞し時間さえ止まっているようだが、ゆるやかに終わっていくようにも見えた。家の近所にはいまだ手作りのこんにゃく屋があり、前を通るたび、昔そこで買ってもらったフルーチェが数年単位で期限切れだったことを思い出すのだ。ひとりでは眠れない、胸を張って子供だった頃の話。ずっとずっと、ずっと昔の話。

 

不安になるほど穏やかな午後の光。五月は半ば、木々も道端の雑草でさえも、見惚れるほど美しい新緑を見せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祖母が死ぬらしい。

 

父ははっきりとは言わなかったが、他に捉えようのない言葉だったので、私はそう理解した。窓の外を見ながら、流れるように、でも少しだけためらうような口調だった。一瞬の間があったが、私は目を見開くわけでも息がふっと止まるでもなく、ああ、そうなんだ。とだけ返して、同時に、普通に言葉が出てきたことに驚く。

 

一週間以内に、黒いスーツを用意しておけ、とのことだった。

父が言葉を慎重に選び取っているのがどうにもわかってしまって、辛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

物心ついたときから、家族は当たり前に六人だった。

妹と両親、祖父と祖母。全員が乗れる大きなファミリーカーがあったし、いつも長いテーブルを挟んで三つずつ椅子が並べられていた。夢みたいに、うすぼんやりとしか思い出せない記憶を手繰れば、所謂おばあちゃん子だった私は毎日、祖母の和室にいた。「タイタニック」と手書きで書かれたビデオテープと、冬のソナタの並んだテレビ台。優しくしとやかで、毎晩三味線の稽古をしていた彼女のことを、私は子供心に聡明な人なんだろうと感じていた。幼かった私にラブロマンス、まして海外のものなど理解できるはずもないが、時の人である"ヨン様"に目を輝かせていた祖母の姿だけは覚えている。贅沢なほど、あたたかく幸せな家族と時間だったと思う。

 

 

 

それから私が小学校の四年生か五年生になった頃のクリスマスの朝。サンタクロースとの我慢比べにたやすく負け、眠ってしまった寒い朝に、大好きだった祖父が他界した。

枕元に置かれた、世界で一番綺麗な赤と緑の包み紙を開きながら、私は二階がなにやら騒がしいことに気づいた。ぞっとするほどつめたい朝。幼い頃からその類の勘に鋭かった私は、部屋の中にいながらどんな恐ろしいことが起こってしまったかおおかたの想像がついてしまって、やがて両親が和室の戸を開けた時、「聞きたくない」と言ったと思う。祖父の部屋は、陽が射しているのに妙に青っぽくて、傍らで祖母が泣いていた。

 

クリスマス・イヴ。ひじりの夜に、いつも通りに眠ってそのまま目覚めなかったという祖父の肌は、あるはずの体温がもうどこにも残っていなくて、私は思わず小さく悲鳴をあげそうになったが、ぐっと飲み込んだ。ボウリングが大の得意だった祖父の体はがっしりしていて、夜遅く帰ってきてはボウリング大会の景品であるお菓子やらなにやらを孫にくれる、当たり前にあった時間や機会のすべてが、肉体とともに終わりを迎えたのだと悟った。

 

 

 

 

それから祖母は急激に変わっていった。穏やかだった口調は、泉のように無限に湧き出る心配事を繰り返すだけで、彼女を聡明たらしめていた眼差しはきょろきょろと定まらなくなってしまった。会話が成り立たず、家じゅうに苛立ちが充満する。弾き手のない三味線は、和室の隅に立てかけられたままになった。祖母が施設に入ったその夜、悲しいほど静かで穏やかな時間が続いていて、やがて流線形のようになだらかに、彼女のいない時間が日常と化した。

 

 

 

 

 

 

最後に会ったのはいつだったろうか。

祖母が施設に施設に入ってから何度か家族で面会しに行く機会があったが、私は祖母に会うのが怖く、しばらくは両親と妹だけが会いに行っていた。私は私の好きだったものが変化していくことを受け入れる事が苦手で、祖父が他界した際も長らく仏壇に向かい合わなかったし、墓参りもなるべくしなかった。それをすることで、自分の中にいた祖父が完全に終わってしまうことが何よりも怖かったし、面会のそれも同じような理由だった。記憶のなかの彼女のままでいてほしかった。

それでもしばらくすると意を決して、というよりその恐怖心が時間とともにやや薄れたというのもあり、面会に同行する気持ちになった。会わないまま祖母を失ってしまったら、という別の恐怖が生まれたというのもあったと思う。車内には形容しがたいじっとりした空気が流れていて、それが精神的なものだったかこの町の曇天のせいだったのか今となっては思い出せないが、その空気にあてられて私の心は強張っていた。

 

 

 

 

施設のロビーで車椅子に腰かけた祖母を見た時、私はそれが祖母だと一瞬気づかなかった。記憶の中で真っ黒だった祖母の髪が、思わず見とれそうなほど綺麗でおぞましい白色をしていたからだ。私は今まで生きてきた中でも類を見ないほどのショックを受け、また死というものが風のように刹那に駆け抜けてゆくのを感じた。当然のように彼女に話しかける父と母を見て思わず吐き出しそうになる。悲しかった。

職員に車椅子を押され、祖母は個室のベッドに入る。ここが普段過ごしている部屋なのだろう。小さな棚の上に、家族で撮った昔の写真がいくつか並んでいた。真っ白の壁には少し光が入っていたが、祖父が他界したあの朝の青さに似ていると思い、素直に綺麗だとは思えなかった。

 

 

 

 

久しぶりに会う祖母は、認知症を患って記憶が所々壊れたようになってしまっていた。変わってしまった彼女を前に言葉を発せずにいたが、しばらくして私に気づいたようだった。じっと見つめる目は少し落ち着いているものの、記憶の中のそれとは全然違ったように思える。そして、

 

「だれ?」

と祖母は私に尋ねる。瞬間、私はここに来てしまったことを悔やんで。走って逃げたくなった。今自分に向けてまっすぐに発せられたその質問に追いつかれる前に全速力で、走って逃げたくなった。いまにも心が壊れそうだった。これを書いている今でも、その声が私を追っかけてくるような気さえするのだ。両親が、予期していたように笑いながら私のことを私の家族に紹介する。私のことを、私と毎日一緒に寝ていた私の祖母に説明している。

その光景に耐えられなくて、私はへらへらと口角をあげたり、俯いたり、何でもないように窓を眺めたりと忙しかった。

 

 

 

 

 

部屋を出る時、私は久しぶりに会う祖母の姿を残そうと持ってきていたカメラで、代わりに光の射した窓や彼女の靴、青白いベッドだけを写して帰った。帰り道のことは、よく覚えていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何度か面会に行ったと思う。楽しみだとは思えなかったが、もしかすれば思い出すかもしれないと同行した。両親はその度、昔の写真を見せながら私のことを丁寧に説明したが、終ぞ私と過ごした時間を思い出すことはなかった。

恐らく四年ほど前の面会を最後に、私は祖母と会っていないのだと思う。しばらく離れなかった面会初日のトラウマも四年の月日とともに受け入れられるまでに馴染み、近頃ではたまにかかってくる施設からの電話を父が応対している時にだけ思い出す程度になった。

 

 

 

明日、礼服を買いに行く。これから来る死のために準備をするということは、とてもおぞましい。

そして二十代も半ばにさしかかって、毎日一緒に寝ていた頃の記憶は随分と昔のものになってしまったが、それでも大好きだった祖母の死がすぐそこまで迫っていると聞き、私が今それを受け入れかけていることが何よりも恐ろしい。今となってはもう、変わってしまったあとの祖母の口調しか、思い出せない。

 

 

タイムトラベルの映画や漫画が好きだ。私はいつだって過去に戻りたくて、今だって、夢のような大都会を友人たちと笑って歩いていた数日前に戻りたい。今朝でもいい。祖母の話を聞く前に戻りたい。知人たちとタイムトラベルの話をすると私はたまに、「過去に戻るなんて贅沢は言わないから、せめて先へ進まないでいてほしい」と話すのだが、今日わたしは、それが実のところ一番贅沢な願いなのだなと悟った。それでも、願わずにはいられない。私はもう十分すぎるほど大事なものを手に入れたし、今後さらに増やすことよりも、それらを失わないことの方が遥かに重要なことだと知っているからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

祖母は、コップ一杯の水を飲むのに半日かかると聞いた。

死が目前にあるとはどんな気持ちだろう。私は毎晩のように死んでしまいたいと思うけれど、死への恐怖は人一倍強いと思う。だから、いつか来る死のことを考えると、恐怖で今すぐ死んでしまいたくなる。家族との死別が来ると知りながら、それを待っているだけの今が恐ろしくて壊れそうになる。

 

キーボードを叩く合間、無意識にコップの水を飲みほした後に、自分にとってあまりに簡単なその行為に苦しくなる。いつもの何倍も、明日が怖くてたまらない。

なんでもいいから救ってほしい。祖母も、私も。

私の大事な人たちだけを、わがままにずっと守っていてほしい。

 

 

 

 

一人でもちゃんとステージに立てるように歌とギター、弾き語りの練習を始めてもう二年近く経った。ましになった実感があって、ふと音を録ってみて、思ったより良くてそれで普通に。なんだか満足してしまった 全部

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眩い光のなかにいた。

ほんの僅かな無音と暗闇の後、赤黄青緑の目を刺すほどの光。また暗闇。光。のくりかえし。敢えて例えるならば晩夏の手持ち花火などは近いと思った。この土地には似つかわしくない、すっ と晴れた日のこと。その日差しの一片も入らない三月の地下室で、私はあまりに眩い光のなかにいたのだった。

 

長岡駅前は、先日までのしぶとい寒さを思い出させるように茶色い雪が残り、それを蹴飛ばしながら歩く。全国的にもそうだったように今年は、終わらないとすら思える長い冬だった。とはいえこの日はもう春と呼んで差し支えないほどに暖かく、それが三月九日の、ちょうど後輩たちの卒業公演の日であったことに少し驚きながら空を見る。希望を感じてしまう朝。希望に染められてしまうような朝。終わっていくものを前向きに捉えることのできない自分の、性分すら捻じ曲げていくように。柔らかい光の粒が射していた。

開演までの時間は穏やかで、数カ月ぶりの駅前を歩きながら過ごした。別段私が感傷的になる必要などないのだが、好きだった喫茶店の抜け殻やベンチで食すエッグサンド、静かに後輩たちがギターを抱えて階段を下っていく様、何もかもひどく脆いもののように思えて、あまり考えないようにする。穏やかなようで、その実さまざまなものが心中で渦巻くのを感じながら、ただ待っていた。

 

 

よくこういったものの比喩表現には線香花火が用いられるが、文頭で私が記述した花火のイメージはもっと序盤にやる、派手に吹き出す類のものであった。ネズミ花火でもいいかもしれない。この時世もあって私の感覚は二年前あたりで止まってしまっていて、ふたつ下の後輩というのはいつまでも二年生のつもりだったのに、かれらは呆気なくそれを覆すほどの光をばら撒いてくるから困る。最上級生。何年生、と数字が繰り上がらなくなって勝手に止まっていたのは私だけで、二年の月日をかけてかれらにもう、追いつかれたような気さえした。

出演組全体でいうならば、私がサークルに在籍していた頃からあるバンドは半数にも満たない。それでも、図々しくも行ける限りのライブに訪れていただけあり、私にとってはどれも見知ったバンドであった。バンド名を見て、何のコピーか考えていた頃がもう懐かしい。かれらのこれまでの軌跡を辿った上で、学生最後の大舞台を眼前で見られることが何より嬉しかった。一組ずつらつらと書き連ねたいところではあるが私の筆の遅さでそれをしてしまうと卒業式の日すら過ぎてしまいかねないので、ライブの二日間に直接交わした言葉たちで容赦してほしい。

 

 

個人的な思いをいくつか短く書きたい。

私の音楽ルーツのひとつにGalileo Galileiというバンドがおり、バンドを聴き始めた頃の自分と、今の私の音楽の趣味嗜好とを繋いだミュージシャンだと思っている。卒業ライブの舞台でPtolemyの演奏を見て、羨ましかった。私にとってどれも思い入れの深い数曲、中でもImaginary Friendsの一節、

 

「ここから先は 僕はいけないから 見ててあげるから きっと楽しいから」

「だってね君の居場所は ここじゃないから ここじゃないから さようならだよ」

 

いままで絵本の登場人物を俯瞰するように聴いていた歌を初めて、絵本の中の見送る側に立って聴いた。数えきれないほど聴いた歌を別の視点で咀嚼できたことに驚きながら、ああ今日はかれらにとってひとつの最後なのだと改めて思う。見ててあげるから。優しいともいえるし薄情とも思えるこの一節を聴くたびに、遠ざかっていく後輩たちのことを思い返すのだ。これからずっと。

 

 

タンバリンズは、未だその中央の立ち位置に自分がいるような気がしてしまう。私の在籍した四年の月日において、それだけこのバンドの存在は大きかった。それゆえに勝手ながら顔ぶれを変えながら遠ざかっていく事に対し微妙な心境ではあったが、それももうないほど、ひとつのバンドだった。卒業を目前に控えて最後に鳴らす赤黄色の金木犀のイントロ。その旋律より美しいものはきっとないだろうと思った。それは、個人的な思い入れを控えた私だけではなく、もっと言えば原曲すら知らずとも、あの場にいた多くの人が感じただろう。それだけ、あのステージは私の心を打った。

そして、夜明けや虹の際に私が見た景色は、未だ完全には開かないあの丸窓の向こう側にかつて存在した熱気と比べても遜色ないように見えた。私はフロアにいつかの薄汚れた白い床や、いまや近いようで遠い同級生や先輩たちを勝手に投影し、勝手に寂しくなり、勝手に涙した。

 

 

Astra。私はサークルに於いて、オリジナルバンドだろうとコピーバンドだろうと熱が注げるならばどちらでもいいという考えだが、単純に、知人がオリジナルをやっていれば嬉しい。特に、近しい人の書く詩に触れられるのが好きだ。物理的に触れることのできない、生々しい心から絞り出た文節たちは、何物にも代えがたい。

私はあまりライブハウスという場が得意ではないのでかれらの学外での活動にふれることは殆どなく、知った風に言うのも憚られるが、卒業ライブのAstraのステージにはこれまでの場数が見えたように思う。最後の曲が印象的で(多分"星の瞬き"だと思う)、上手な編曲だと思った。この曲に限らずだが匡玖は曲のニッチな部分まで分析するし、それを言葉で伝えるのも上手なので、きっと細かいこだわりが沢山昇華されているのだろう。そんなことを考えながらステージを見つめていた。

 

後輩たちとは、私の交流スキルの低さも相まって作編曲のことに関して殆ど話すことがなかったのが心残りである。それでも、和葵の「解散は絶対せずゆるゆると続ける」という変に気張ることのない言葉に安心し、そう言い切れるバンドの演奏はやはり通して良いものであった。そして何より、「一曲作ってみたら意外といけるなと思った」の言葉が嬉しかった。あの一言は後輩たちにまた次の種を蒔いただろうし、ハードルを下げたと思う。いつか優樹がアバヨズというバンドの影を追うような話をしてくれたけれど。かれらはもう立派に、後輩たちの憧れのバンドの形をしていたと私は思った。

 

 

 

 

つまるところ、私の好きだった音楽の形はここにあったのだと思うし、これと同じものはどこにもないということなのだろう。少なくとも私にとってサークル内だけの、コピーバンドが主の、クローズドな公演におけるあの空気もまたひとつの理想なのだと思う。自分たちがやりたいだけの曲、あるいは身近な先輩や同級生、後輩に贈りたい曲、それを顔馴染みのフロアが聴くただそれだけの空間。それはあくまで遊びだと、ぬるいという者もきっといるだろうが、本当の意味で心を動かされた瞬間は、思えばいつもあのサークルハウスの中だった。知名度もトレンドも考えずに曲を書き、無邪気に遊んでいる様はそれだけでいつも美しかった。

大学を終えてこれから先、音楽が傍にあり続けるならば様々な形で心を動かされることと思う。どん底の底から掬ってくれるかもしれないし、驚くほど共感するような恋の歌に泣いてしまうかもしれない。若しくはただ単に音が格好良くて、溺れるほど好きになるかもしれない。ただ、卒業ライブで味わったその感情は、おそらく生涯もう二度と手に入らないものと考えていい。それに近しい感情ですら、もう殆ど手に入らないと思う。この世は大抵のものに代替品があり、かけがえのない物などそう多くはないが、あの日に味わった、あの実感の湧かない呆気なさはきっと。そのひとつなのだと思う。

 

いつの日も、終わりの実感というものは終わった時ではなく、次が始まる時に訪れるのだと思う。年度が変わり、見知ったバンドの名前がフライヤーに無い時。働きはじめて、案外バンド練が無いことに慣れてしまった時。ギターを持っても何を弾いていいかわからなくなる瞬間が来て、ようやくすべてが戻らないことを実感する。したところでどうしようもないのに、その実感ばかりがいつまでも。悪夢のように体に残る。

それでも私はそれを美しいと思うし、その実感が湧いたときはできれば愛してほしいと思う。絵や文章や歌に昇華できたら素敵だと思うし、抱え込んで寂しくなるだけでもいい。何にもならなくていいから、何もしなくていいから、その記憶を失くさずに抱きかかえていてほしい。中学のころ音楽にふれてから10年近くという時が過ぎ、色んな曲が詩がライブが私の心を揺らしたが、その感動のどれともかけ離れた、異質な感動が総音にはあったと私は未だに思う。異質で、ぐちゃぐちゃになりそうなほど歪で美しい感動だった。それがもう二度と味わえないことも含めて。

卒業ライブ。場所こそ違ったが、かれらもそういったことを感じていたらいいなと思う。

 

 

 

 

かれらの放つ光。負けじと照らす発光ダイオードの光。階段の先にハザードの光。駅前の電飾の光。グラスとシャッターと光。それらの光から、気づけば一週間近く経っていた。未だ文になるほどの愛着が残っている嬉しさと、つらつらと終われない未練がましさや空しさを混ぜ合わせながら、残された数分の今日のことを思う。日付が変われば明日は卒業式が執り行われるらしい。

 

記念の写真撮って僕らはさよなら。あと私にできるのは、明日いつもの米百俵の群像に雪がかぶっていない事を微力ながら祈ることくらいか。

 

 

 

耳栓代わりのイヤホンを外すと、軽快なリズムは天井から降り注いだ。

ここに腰下ろした時には貸切状態であった店内も人けを漂わせ、手持ち無沙汰もとい背持ち無沙汰であった椅子たちも、いくつかは静かに役目を果たしている。わたしは窓の外に目を向け、薄白のカーテン越しに見るくすんだ夜の色で、思ったより時間が経っていたことに気づいたのだった。ここ数日、頭の調子は悪くない。相変わらず思考こそぐちゃぐちゃと絡まっているものの、その矛先はどれも絵の方を向いている。人様に絵を見られる予定があるからか、偶々調子のいいサイクルだったのかは判らないが、久々にわたしは自分の絵と向き合ったような気がした。ここに戻るまで、随分と永く時間を要した。

布越しの薄い信号の光がぱっ と色を変えるたびに横目で眺めて、またわずかに進んだ時間を感じるのが恐ろしい。現在ちょうど八時、ちょうど黄信号に変わり、それを書き留めるうちに赤に追い越され、画面は八時一分を映している。この一分が、もっと細かく刻まれた時の粒子が、砂のように降り積もって。砂漠になるころ、わたしもからからに乾涸びる。

 

マルクスの自省録に書かれている"これから一万年も生きるかのように行動するな"という一節に、どきっとする。」好きな漫画にあった場面だが、そのページを見て以来、棘のようにちくりとどこかに柔く刺さっている。取ったと思っていた靴の中の木屑が、忘れかけた頃にまた足の裏をつつくように、掠めるように。つい最近めでたく同作品はドラマ化され、先日ふいに流れたそのシーンでわたしは再び、どきっ とさせられたのだった。

随分前に、自省録は一度読んだはずだったが。その一節が全く印象になかったというのは、当時の自分が、時間の浪費など気にもとめない程に満たされていたからか、或いは途中で読むのをやめたからか。適当に流し見して、読み飛ばした可能性もあるが、なんとなく、どちらにせよ空しい気分だ。

 

ふと顔を上げると信号は青色である。先のくだりから、一体何度その色を変えたのだろう。真上を向いていた長い針が丁度真下を指し示す。わたしはなんとなく残していた台湾かすてらの四分の一ほどを口に入れ、最後にまた一度、信号が変わるのを見てしまったのだった。