初夏だった。

自転車に足をかけ、十分ほど離れたスーパーまで向かう。風は涼しいがサドルを降りて数歩歩くと背に汗がにじむくらいの気温で、雲は去り、水色が果てまで続いていた。そしてその晴れた空の下、普段茶菓子など買わないのに急に二千円も手渡され、お茶請けのお使いを頼まれ困っている私もいた。やはり煎餅が無難だろうか。ポップすぎるものは避けるべきか。など、いらぬ心配をいくつもして、最終的には アルフォートプリッツ・雲丹あられ・きのこの山たけのこの里のアソートパック の布陣に決定する。結局殆どは私の好みによるものだが、きのことたけのこだけは派閥争いで少しでも会話が弾めばいい、というささやかな配慮のつもりだった。

 

通夜とは思えないほど爽やかな日。帰宅しどかっとソファに腰を下ろすとじきに母の茹でたうどんが並び、それをつるつると啜る間私は一足先に夏の気持ちだった。風鈴でも飾りたくなるような淡い影が窓辺に伸びて、夏をますます助長させていた。扇風機も回した。けれどじきに葬儀屋が訪れると私のなかの夏は少しずつどこかへ消えて、代わりに季節などない喪の時間が満ちていった。

 

 

 

 

 

 

午後三時、祖母の眠る和室にふたりの葬儀屋が入って、それからしばらく襖を閉めたまま準備が行われた。閉まる前に父が その作業を見ていてもいいか といったような事を尋ね「見ていてあまり気持ちのいいものではないかもしれない」と返されていたので、私は余分にそれを想像してしまいそうで必死に別の事を考えていた。

 

 

 

 

 

襖が開いた先にいた祖母はもう厚手の布団も白布も被っていなくて、ただただ小さかった。母たちの選んだ着物の袖から伸びる指が、水泳の後みたいにしわくちゃで、少し怖いけれど同じくらい愛おしくも思える。足は随分とやせ細っていて、ひび割れた爪のいくつかが痛々しく見えた。

それから私ははじめて、随分と遅くなってしまったけれどようやく、祖母の眠る顔をしっかりと見た。ずっと怯えていた。白髪になってしまった祖母を初めて見たときのショックが脳裏で燃えていて、それをさらに上回ってしまうことが怖くて、昨日も一昨日も、すこし離れて眺めるだけだった。けれどその顔は思うよりずっと穏やかで、私ははじめ知らない人を見たような感じで、綺麗な人だな と思った。勿論、ショックはあった。体温も魂も残っていない、入物としての肉体がすぐそこにあり、顔を見るとそれがやはり祖母だと痛いほど実感させられる。頬にははりがあり顔立ちこそ整っているものの、目の前の遺影と比べると悲しいまでに変わり果てた姿だった。

 

 

 

箸に巻いた脱脂綿に緑茶をしみ込ませ、順番に祖母の口へと運んでいく。末期の水。準備の際、あまり冷たいものが好きでなかった祖母の為に父が何度も茶碗の緑茶をレンジに入れては冷ましているのを見て、なんとなくこの人の子で良かったなと思った。祖母の唇はすごく薄くて、私は震える手ですこしでも潤うよう丁寧になぞる。終えると次は着物の袖と裾を捲り、手渡されたガーゼで手足と顔を拭いていく。あらわになった祖母の脛のあたりは、血の気はないがしわひとつなくて、精巧な作り物のようだった。ガーゼ越しに祖母の額にふれたとき、私はみるみるうちに下瞼に涙がたまっていくのがわかった。感情の整理が追い付かなくなり、祖母の顔に涙をこぼさないよう堪えながら肌をなでる。妹が右の頬を拭いていたので、静かに逆の頬を優しく拭った。痩せた目の周りに眼窩をふちどる円が浮かんでいて、その下の空洞を想像すると私はどこまでも苦しくなっていった。

足袋を履かせ手に数珠をかける間、葬儀屋の女性が祖母の顔に化粧をする。私が足袋の紐を決して途中で脱げないよう固く結ぶとおおよそ化粧の方も済んだようで、口紅を塗り終えると祖母はまして美しかった。頬は赤らみ、両親らが悩んで決めた薄桃色の口紅もほどよく華やかだった。

 

 

祖母を棺に入れる際、私は心の底から緊張していた。皆で布の四隅を掴み持ち上げるとずしりと重く、身体だけが残されていったことを実感する。傾けたら簡単に、重力のままどこかへ転がってしまう意思のない器。小さな身体は棺にぴったりと納まって、足元には祖母の飾っていた"ヨン様"のカレンダーが入れられた。祖母が元気だったころのまま永遠に止まった暦表を一緒に送るのはある種の祈りのようだと私は思ったが、入れた母はきっとそこまで考えていたわけではないだろう。ただ、それでいいし今日はその方がいいのだろうとも思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

通夜は滞りなく進んで、予定通り一時間ほど、夜七時前には皆帰っていった。私はといえば、焼香の後に脇を通って席に戻る筈がうっかり真ん中を通ってしまった失敗を心でやや引き摺りながら帰りのタクシーに揺られていた。帰ってから母に言われた、通夜の作法など慣れるようなものではないから都度忘れてしまっても良いという言葉がなんだか好きで、心に残っている。

それと、最近の霊柩車は黒色の一見普通の車になっているようだ。私はあの金ピカを想像していたのでなんだか拍子抜けしてしまったが、祖母は変に目立つような人でなかったのでそれで良かったのかもしれない。私は変なところで目立ちたいので、その時が来たら是非金金ピカピカで運んでほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

先程まで、と言ってもすでに四時間近くこの文章と向き合っているので昨晩というのが正しいが、夜伽で一泊する父に着いて私も一度、斎場へと戻った。私は泊まるつもりでなく現に今は自室に戻ってきているが、今日しかできない事はなるべくしておきたいと思ったからだ。夜風にあおられながら自転車で父に並んで斎場に向かう時間すらもなんだか貴重なことのように思えて、綺麗に並んだ星をたまに見上げながらペダルを押した。

夜十一時の斎場は厳かで冷たいものを想像していたが、私と父だけで葬儀屋の人もいなかったので、むしろ随分と柔らかい雰囲気だった。小さく畳の敷かれた宿直室のような部屋でゆっくりとお茶を飲み、テレビをぼうっと眺めながら家にいるときと変わらない普通の会話をする。そのうち父が、持ってきたタブレットでゆうらん船の新しいミュージックビデオを流しだすので、それを見ながら布団を敷く。腰が痛くなりそうだからと敷布団をいくつも重ねたりやっぱり外したりする。そういうごくごく普通の時間が、忙しなかったここ数日の山を均していくいくようで私はおだやかだった。それからじきに父は眠そうにしはじめたので、私は見送られながら家に帰った。帰り道、澄み切った空がきっと明日も暑くなるぞと告げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今、かたちある祖母との最後の夜が、もう白んでほとんど明けている。

二時間後には起床し、支度を始めなければならないのにこんな時間までタイピングを続けているのは、眠ってしまったらすっかり薄れてもう書けない気がするから。今日はきっと文字に起こせないほど悲しいだろうから。数時間後には葬儀がはじまって、そのまた数時間後にはもう、祖母の身体にすら二度と会えなくなる。そのことを私がこの短い時間のなかで受け入れるなどおそらくできるはずもないが、せめて、明日は立派な孫でいたい。せめて、持ちうる精いっぱいの愛をこめて祖母を見送りたい。