商店街を囲うようにぐるぐると、何度も同じ道を歩いた。どこへ行くでもなく、かといって帰路につくわけでもなく。深夜の田舎町はほとんど私のもののようで、疲れ果てたような顔の青年一人とすれ違った以外に人影はなかったが、それに見合わず商店街は明るかった。だらりと湿った草木の匂いと、屋根やそこらを伝って落ちる水滴の音だけがあちこちで聞こえていて、私はそれに紛れるようにゆっくりと進んだり戻ったりしている。無音ではないものの、不思議なほど静かな夜だった。

三、四周ほどしたあたりでばつん、と音がして、商店街に灯っていた電灯たちが消えた。初めて立ち会うそれに驚いて振り向けば、電気屋から漏れる非常口の緑の光と、曇った空を透かす僅かな月明りだけがこの町の光のすべてだった。今日がなんでもない日であれば、私はこれを「びっくりした」の一言に換え、そろそろ帰ろうかとなるのだけれど。祖母が永遠に眠った夜、私はもう二十年もここにいて、ようやくこの町の本当の真夜中を見た気がした。

 

 

少しだけ降りだした雨を手で確かめながら、一晩中歩いたとは思えないほど短い帰り道を経て家に着く。布団に包まった時、疲労感と映画を見ているような浮遊感が体を覆っていて、窓から青黒い朝が覗いていた。

 

 

 

 

泥のような眠りから覚めたのは昼頃だった。昨晩とはうってかわって晴れた光の射す、明るい昼。階段をくだり、私が一通りの身支度を終えて和室の前を通りがかると、すでにそこには祖母が眠っていた。正確には、祖母と思わしき人か。白布に覆われた頭部。その下を、彼女の顔を私は現在に至るまで見ていないので、未だ夢を見ているような気持ちだった。

言伝だけだった死が、質量を伴ってそこにある。その光景があまりに哀しく見えて一度私はリビングに戻り、ひとつ息をついてから和室に戻った。何一つ信じたくはなかったが、敷かれた布団に浮かび上がった手を組んで横たわる身体の輪郭や、何より白布の隙間から僅かに見えたあの綺麗な白い髪が否応なく別れを突き付けてくるので、私は俯いて祖母を呼ぶことしかできなかった。

 

 

 

それからしばらくの間、私はそこで顔の見えない祖母を見つめていた。向こうの部屋から漏れ出す家族や親戚のかすかな話し声を聞きながら、祖母の声を思い出す。そして時折、目の前の祖母が何か喋ったりだとか急に起き上がって元気になったりだとか、そういう当り前の妄想ばかりをぼうっと浮かべては、足元の冷たい現実に引き戻されるばかりだった。身体は厚い布団に覆われ顔も隠されるなか、着物越しの肩だけが生々しく人の形状をしていて私は少し触れたいと思ったが、その勇気の持ち合わせがない。結局、私は何もせずにただいくつかの記憶をするするとなぞり終えると家族のもとに戻ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

夜にかけては忙しなかった。親戚が何人も出入りして、その合間合間に葬儀屋がいくつもの段ボールを運ぶ。手の空いた時間に家族で昔のアルバムを次々にめくって、祖母の写真を探した。山積みの写真たち。そのうちにだんだんとただ昔を懐かしむだけになって、この写真のお母さんは服装が若いだとか、こっちのお父さんは髪が黒くて多いだとか、そういうたわいのない時間が流れて、私はそれが心地よかった。同時に、過ぎ去ってしまったそれらが山積みの物量として可視化されてしまい、時々苦しく思ったりするうちに陽は落ちていった。

外へ出ると黒い幕やら大きな提灯やらがぶら下がっていて、その光がふたつ、ぼんやりと夕暮れに浮いている。門牌を見たとき私は初めて祖母が八十七歳まで生きたことを知り、祖父の死から十年以上の月日が流れていたことを改めて実感した。時はどこまでも不可逆で残酷なのだなと、当然のことを今日も考えていた。

 

 

 

夜、母の焼いたスパゲティグラタンを四人そろって食べる。妹が上京して一か月ほど経ったろうか。久々に空席のない食卓を喜びつつも、廊下の向こうで一人眠っている祖母のことを時々考えぐちゃぐちゃの心のままそれを平らげた。いつも和室で寝るはずの我が家のセキセイインコも今日ばかりはリビングにいることになったために部屋の半分は薄暗く、それも相まってか私は目前に通夜が迫っていることをひしひしと肌で感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蓮の花を模した真っ赤な蝋燭。暗くなった和室には、指先ほどのオレンジの光だけが小さくぽつり と灯っていて、祖母の身体がいまもかすかに照らされている。電球色の、この上ない程暖かい色の光だったけれど、私にはそれがどうしようもないほど冷たく見えた。こうして文字を叩く今も、階段を下りればそこにあの冷たい部屋がある。

柔らかで凍えそうな影ばかりが和室からこぼれんばかりに満ち満ちていて。違う世界のような感じがする。