年末大掃除の時期を周回遅れしたところで、わたしはようやく自室を片付け終えていた。

比喩でもなんでもない程にうずたかく積みあがった書籍に書類。衣類。形容に難しいいくつものインテリア。とはいえ現在、見違えるように片付いた同自室に腰をおろし文を書いているわけなので、最早荒れ果てていた頃を想像することさえ難い。それほどまでに沢山の物質や、それに伴う記憶や追憶たちを、わたしはいくつもダンボール箱に閉じ込める形で整理整頓したのだった。

 

クローゼットは魔窟と呼んで差し支えなかった。

部屋に人を招くたび、幼い子供のように、床を脅かすそれらをおもちゃ箱にただ投げる。そういうその場凌ぎを幾度となく繰り返した結果だった。中は酷い有様で、絶妙な均衡によって保たれたそれは、ひとつ引き抜くごとにひとつ崩れていった。
物覚えはいい方だ。それらひとつひとつに、手に入れた時の記憶のかたちがあり、しかしわたしは上手に四角になるよう、箱に綺麗に嵌め込んでいった。心や記憶も手に取れる形で、こんな茶箱にコンパクトに収納できたのなら。 どれだけ良いだろうか。名前を書いて、必要な時まで封をしていたいものが数えきれぬほどあるのだ。

 

そんな魔窟の奥深くに、さながら宝箱のように箱が一つ座す。不恰好に閉じられた蓋をはがせば、中学時代の文集やアルバム、捨てられなかったスケッチブックやプリント。授業中に目を盗み回って来た切端の手紙などがあらわれ、同時に、十年近い歳月の空気や臭気が途端に部屋に立ち込める。化石になった感情や後悔がむせ返るほどに押し寄せ、友達や先生の仕草が浮かんでは消える。誰かに会いたくなったり、誰にも会いたくなくなったり。しばらく茫然と、ただ床に横たわりただ目を瞑り、そのまま少し眠ってしまう。

 

 

今日もわたしは日課のように青地に黄文字の看板に吸い寄せられていた。

中古屋は好きだ。そこらじゅうに見知らぬ誰かの記憶が満ちている感じがして、それらがただ雑多に混じり合う。慣れた足どりでいつもの順路を徘徊し、大方めぼしい物がない事を確認し、本を漁りに階段へ向かう。その途中に薄らと目に入る。一瞬迷った末に、わたしはその人にやや臆した声で話しかけていた。見知らぬ男に声をかけられ、その人は訝しんでこちらを伺うが、続けてわたしが名乗ると、はっとしたようにその名前を呼んでくれた。

中学時代の担任の先生だった。十年ほどの月日、一目見てわたしが気づいたのは、恐らくは、つい先日に上述した魔窟探検があったからである。そうでなければそのまま階段を下る、或いは、そういえば似ている と思いながらすれ違っていただけの日だったろう。中学一年時のみのわずかな時間だったが、印象的で、好きな先生だった。

何から話したものかと思い、わたしは、今でも絵を描いていて、未熟ながらもそれを仕事にしているという話を選んだ。先生はそれを喜んで、「まだ切り絵、飾ってあるよ」と言う。一瞬、頭のうちを過去に向かって思考がかけめぐり、思い出す。その頃もわたしは切り絵というものに熱中しており、先生が好きだった漫画を切り絵にして渡したのだった。懐かしかったし、嬉しかった。それを皮切りに、わたしはそれからの十年が地続きで今になっていることを実感し、苦しくもなる。十年という言葉の重さと、この一瞬のような道程は果たして釣り合うだろうか。頭のなかで、小さな天秤がひっくり返って崩れるのを感じて、わたしはそれ以上を考えるのをやめた。

 

二月のハード・オフで、わたしはただかつての中学生だった。本来の目的であった本のことなどとうに意識の底に沈みきって。閉店の時間がせまっていた。

 

 

夜、交換した先生の連絡先から写真が届いた。飾られた、十年前の切り絵の写真である。人生の半分に近い、長い月日がたった。もはやそれを自分が作った感覚という実感すら限りなく薄いが、それもどこかロマンチックな話だと思った。

こんな偶然のあとであるからか、すぎた時間への妄執も、今日ばかりは許されているような気がして。

嵐のような毎晩のなかわたしは、僅かだが安堵の夜を得たのだった。