たえず雪が降り続く。

 

毎年、夏のど真ん中で、はて冬とはどんなものだったろうかと考える。

あまりに蒸し暑くておかしくなったのか、はたまた毎年考える故に変に癖がついてしまったのか、頭の中で冬の寒さ、雪の白さを形作るのだが、きまって上手くはいかない。二十と数年見飽きていても、凍えるような空気と、氷の塊が降ってくる世界に想像が及ばない。そんなおとぎ話のような町で、いまわたしは外から戻り、震えながら炬燵をかぶっている。

二月。寒さに辟易し、もはや誰も雪で達磨など作らない。日に日に歩道を縁取る雪壁は高さを増し、車道はとうとう半分になった。特に夜は毎晩数回、屋根から大きな雪のかたまりが落ちる。わたしはそれがはじめ、どうにも身投げの音に聞こえて、日が昇ってから外を覘くのがほんの少し怖かった。

 

とはいえ、初週を過ぎもう積雪のピークも過ぎるころだ。外出する際は無意識のままに棒を持ち、雪塊から車を発掘するようになったし、さらにはその前に忘れずにエンジンをかけておけるようになったし、冷えた車体が走り出しにキュルキュルリと唸っても慌てることはなくなった。こうなるといよいよ今年も冬を乗りこなしているな、としみじみ思うわけである。

 

 

音もなく、ついさっきつけた足跡がなくなってゆく。

精神まで凍り付くように重たくなってゆく毎日のなか、今日という日はいくらかましであった。夕暮れから夜にかけて、きゅうにすうっと何枚も絵ができる。随分久しぶりの感覚だった。

スランプなどど銘打つことすら烏滸がましい程に、ここいらのわたしは腐っていたのだ。ペンを持つことも、言葉を書くこともできればしたくなかったし、持ったところでふらふらと描いた線を数分後にかき消すだけであった。なにも生み出せない日々は、わたしという人間の価値を危うくさせる。満たせなかった今日を少しでも回収すべく、短い夜をあっという間に消耗し。それでもなにも得ることなく、明け方気を失うように眠るのだった。そんな中で、すらすらと会話をするように、なんでもないように絵にできた今日、わたしは随分とわたしを赦すことができた。それが何よりよかった。

 

先日見たテレビ番組で、如何にもカリスマ然とした風貌の男がスランプについて話しており、「二年曲が書けず苦しんだが、ある日なんでもないように十五分ほどで一曲かけた。でも私はこれを二年と十五分かかって書いた曲だと思っている。」という一説が妙に印象的だった。わたしもうまく生きられない期間をそう捉えられたら、少しは意味を見出せるのだろうか。ただ、自身の甘えにもなりかねない言葉だとも思った。

 

 

月末には、イベントへの参加が決まった。

フライヤー上で、また憧れのバンドと名前を連ねられていることが嬉しい。わたしは久しぶりに絵の展示と販売というものに取り掛かる。サークルのライブの後ろで、自作のTシャツを売っていた頃はどんな気持ちだっただろうか。三年ほどの月日だが、学生時代特有の真っ青な風が、とおい記憶の中でごうごうと吹きすさんでいる。

明日の晩、わたしは明日のわたしを許容できているだろうか。あの真っ青な風を思うたび、今、一番に欲している。燃え盛る不安も影も、あの頃あの風の前ではろうそくの火ほどでしかなかったように思えるのだ。