つい数日前、近所で火事があった。

 


本当に近所だった。偶然にその日は外出していたので自分がそれを知るのは翌日の事だった。

 

遮光カーテンを少しだけあけて斜向かいに目をやれば、道を挟んですぐそこに上から下までまっ黒に朽ちた元・建物が見える。別段気に留めたこともなく普通の古い家だったような気もするのだが、こうも果てると途端に異様な存在感を帯びる。
じっとりと雨に濡れた黒い木片たちはそれとは対照的に派手な黄色のロープで囲われていて、こんなごく普通の住宅街ではなかなか見かけないようなそんな危うさを漂わせていた。





母はその晩、ふと階段をのぼった先の窓からもれる光に気づいた。日の落ちた時間帯に似つかわしくないくらいの橙の光(だった、らしい)。二階のリビングは不自然な暖かさに満ちていた。
のんびりと風呂に浸かっていた父をすぐさま呼びつけて、家族総出で荷物を運び出す準備を整える。話を聞くだけで、その場にいなかった自分ですら気持ちが逸る。

幸いなことにうちに火の手がまわる前に消防車は到着し、鎮火された。火元の家は全焼。面識こそないが死者も出た。近所の家が一夜にしてひとつきえた。





一週間ほど前に、久々に曲を投稿した。特に用もなく散歩すると、めずらしい晴れ模様のせいか近所の家々がやたらと綺麗に見えたのがきっかけだった。以前から建てていた白い外装の家もいつのまにか完成しており、特にその日は際立って白くみえた。

運の悪いことに、その家は火元のすぐそばだった。つい一週間ほど前まで詞に書きとめたくなるほど白かった外壁は、全体ではないものの炎をかたどり赤茶けて、窓枠はあまりの熱にひどく歪んでしまっていた。

 


身の回りのものというのはあまりに普遍的すぎて、ずっと変わらずそこにあるものだとつい錯角する。たとえばあの家、道を隔てずに隣接していたら。いくつのものを失っていただろう。
夏のうちには公開したいなと思っていた曲のデータ。大事に思い出の断片たちをバックアップしたHDD。カメラ。絵。父の古いギター。母の電子ピアノ。妹の、おれには誰だか判らないアイドルのグッズ。父。母。妹。



よくある話だが、今日あるものが明日ある保証はない。これはこんなちっぽけな、事件などほぼ無関係の田舎町でも十二分に当てはまる。
遅るるなかれ。明日食べようと思っていた母のデザートも、来週撮ろうと思っていた映像も。きっと今日撮るのが今できる最善であり、間違いないことなのだ。

どうせ忘れるような小さな記憶も、あるに越したことはないし、まして記録は多いほうがいい。あとから消すことはできても、あとからは撮れない。単純だが忘れてはいけない。この文章も然り、今書かなければもう書けない。





早起きしてじっくり何時間もかけて、飽き飽きするほど見慣れた通りを撮ってみるのもいい。明日はそんなことで一日を終わってもいいかもしれない。

夜、三軒ほど離れた四角い窓灯りが、ぼうっと突っ立ったままの骨格を生々しく浮かび上がらせている。