家族揃って古いテープの映像を見返した。

 

 

幼稚園のお遊戯会や小学校の運動会といった特別な日というのは、案外記憶に残っているしテープとして記録にも残っている。ただ、数は少ないがいくつかのテープに残っていた普通の日常は特に嬉しく思う。

自分の名前の後ろに①とだけ書かれたテープは、まだ自身が1歳頃のものだった。見慣れない公園。そこに映っている赤ん坊は、ほとんど面影もなく他人のようにしか思えないが、若かりし両親が映っていることに感動した。

 

 

父は現在も良く笑うし、活発だと思う。定年を迎えてからは料理に目覚めたようで、毎日レシピのことばかり調べていたり、Tシャツにも独自のこだわりがあったり(今日はfenderのベースTシャツをまたも買ってきた)する。

そんな部分もあって今も若々しくみえるが、やはり20年近く前の映像ともなると流石に段違いに若い。母は父とひとまわりも歳が離れている(12歳ほど若い)ので、画面の中では父ほど今との差は感じなかった。それでも、両親どちらにも20年を確かに生きたんだな。と思えるどこか不思議な映像だった。

 

 

 

 

こういう類のものは見返し始めるとやはりキリのないもので、その鑑賞会は日付を回っても続いた。
幼稚園のクリスマス発表会。家族でディズニーランドに行った際のものや、昔住んでいた家での日々だったりが映し出される。

 

小学校3年生あたりで、現在の家に引っ越した。老朽化が原因だった。もともと古い家だったが地震の影響で家が傾き、黄色いテープまで貼られていた。

 

前の家のことは案外覚えており、以前からたまに戻りたくなるような感覚がある。

板張りの廊下が長く続いていて、途中にテーブルを挟んで向かい合った椅子がある。そのすぐ傍から小さな中庭に出られて、良く誰も落ちないようなバレバレの(落とし)穴を作ったり、カマキリの卵をつついて遊んだ。それを腰掛けた祖母や祖父が見守っていた。

 

ある夜、祖父の部屋の灯り目がけて突然巨大な羽根のはえた虫がバタバタと入ってきたことをよく覚えている。ハエの何十倍もありそうなそれを、祖父がハエ叩きで力任せに仕留めたことに驚いたし、なんならそれが虫でなくこうもりだったことは当然もっと驚いた。

祖母は着物のよく似合う、どこまでも優しい人だった。所謂おばあちゃん子だった自分は、大半の時間を祖母の部屋で過ごした。よく歌をうたっていたような気がする。できるならばもう一度聴いてみたい。

 

祖父は小学校のときにいなくなってしまったし、祖母も今ではおれのことを忘れてしまったが、ふたりを含めた家族の記憶の断片が、一部でも映像として思い出せたのは素直に嬉しかった。

それがどれだけ幸せなものだろうと痛々しかろうと、もう見られないと思っていたものがありありとそこに見えるのは、やはりひとえに映像の良さだろう。

 

 

 

 

父は週末をつかって例の①のテープに映っていた公園に行こうとはりきっている。

悩む様子を見せながらも、嫌ではなさそうな母と、まったく行く素振りを見せない妹。いつも通りの光景でおかしく笑いながらも、20年前の思い出を摘みにドライブなんて素敵だ、と思う。

週末が待ち遠しい。