先日の火事の跡地を間近でみた。

 

 

 

なんとなく近寄りがたく家の窓から眺めるくらいだったが、父の外出のついでに傍まで立ち寄ってみた。たかだか十、二十メートル程度の差でしかないが、目の前までいった段階でようやく現実味を帯びる。

離れていると気づかなかった細かなディテール。それが見えるようになると、古びた家屋の中で営まれていた暮らしが勝手に想像されて苦しい。

 

 


奥の風景が透けてみえる。いろんなものが透けてみえた。

殆ど骨組みだけになったそれをみて、もとの構造を想像するのはおおよそ簡単だ。
仕切られた一階奥はおそらく台所。そこに空いた穴はおそらく裏口だろうか。扉は既に失われており、そこから自由に出入りする風に煤のにおいが混じっている。

二階は土壁だろうか。ひどく燃えたようにみえる部分は、壁の中から藁のようなものが覗いていた。面識もない老人が階段を上り下りするさまを思い描くと息がつまる。玄関だったであろうそこにいくつか手向けられた花々。

 

ほんのこの間まで、確かな生活がここにあったのだと実感する。とりあえず、といった形で周囲に散らばっている黒焦げの家具たちは、よりその想像に質量をあたえていた。

 

 

あまり長居するのは精神的にも良くない気がして(野次馬のように疎まれるのも嫌なので)、十分程でその場を後にし、家にもどる。安堵と、すこしの緊張が混ざってはにごる。

 

 

 


ブログというものを公開するにあたっていくつかの理由があったが、うちの大きな一つがこの火事だった。もし今日このあとや明日の自分になにかが起こって、文字が書けなくなったり。今みたく考えられなくなったり。或いはなくなってしまったりと思うと、少しでも自分から生まれた言葉やものを残しておきたいというように気が変わった。

過去にひきずられる人間の願望として、もし自分が過去になる時、親しかった人にひきずられていたい。

 

今でこそ、この崩れかかった残骸は自分の思考やいくつかに影響をあたえるが、きっとそれも数か月もすれば薄れる。ただ、いつ何を失うかわからないことと、せめてもの抗いとしてバックアップを常々心がける事。

肝に銘じたい。

 

無論、なにも失わずにすむことを第一に願うばかりだ。